普通は就職するのですが、司法試験をしているとなぜか司法浪人になってしまう人が多いです。もちろん、就職しながら勉強する人も多いのですが。私も今振り返ると司法試験は失敗でした。
大学を卒業して何もない状態になっていました。どこにも所属していない人間になりました。時間が24時間空いてしまい、ずっと勉強できるかというとそうでもなく、また勉強がはかどるかというとそうでもなく、お金も入ってこないし、社会に何かの貢献をしているわけでもなくてとてもつらい時期でした。見方によってはうらやましがられるのですが。
ほとんどの日は、家で学者の本や予備校の本を読んでいました。だんだんプロヴィデンステキストは読まなくなり、学者の本を次から次に読むようになり、なぜか図書館へ行き、法律に関係ない本をたくさん読みました。各国の文学、哲学、自己啓発などなど。
大学で法職講座というものを主催してくれていたので卒業してからですが毎年参加していました。でも、どうも答案が書けなくてあまり良い評価ではなかったです。また『受験新報』の誌上答案練習会に申し込んで通信で答案を提出していました。こちらは時間無制限で調べながらやっていたのでよく優秀答案や参考答案になりました。毎月のように図書券がきました。
法律の合間に、NHKラジオの英語講座を知ってから英語を勉強するようになりました。それまで英検2級までしか持っていなかったので、準1級を受け始めることにしました。準1級は当時は難しく感じていて何度も落ちました。ジオスに1年行って、知り合いのアメリカ人と個人レッスンしてもらってようやく準1級に合格できました。その後は、1級目指して勉強しました。「目標は英検1級」というメルマガを書いて400人以上の読者の人と共に歩めました。結局1次試験は合格できたのですが2次試験はあと少しというところで落ちてしまい1級取得にはなりませんでした。
英語については、英検準1級があったので地元の県立高校で英語インストラクターとして半年働けましたし、イラン人の寮の管理人もできました。高校の方は嫌なこともありましたが、学校で働けたのはうれしい経験でした。寮の方はイラン人の通訳の人が仲良くしてくれたのでこれまた良い経験でした。
司法試験については勉強を継続して読み終わった本の数は増えていったのですが、とてつもなく難しくて毎年落ちていました。とてつもなく難しい試験でした。かといって、新卒も使えないし、どこにも出口のない暗黒時代でした。
そうこうしている間に、司法制度改革があり、日本に新たにロースクールができてロースクールを意識するようになりました。3回目だったと思うのですが、これ以上勉強できないというくらい勉強して同志社と立命館のロースクールの2つだけ受けて両方合格できました。こうして同志社ロースクールへ進むことができました。と同時にいわゆる旧司法試験とはお別れです。
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