人はどうして犯罪をするのか

こんにちは。かずしおです。
今回は、人はどうして犯罪をするのかについて書いてみます。



犯罪学の誕生


瀬川先生の『犯罪学』を昔に読んだことがあります。なので、ひととおり犯罪学のいろいろな理論やアプローチは知っています。興味ある人はぜひ瀬川先生の『犯罪学』を読んでみましょう。

犯罪学にはいくつかの理論があります。もうすたれてしまったものや支持されていないものまで含むとたくさんあります。古くは魔人論や自然主義的経験論、現在は否定されているロンブローゾの生来性犯罪者説などです。

犯罪学へのアプローチ


かなり込み入っているのですが、おおむね犯罪学は3つのアプローチをしています。生物的学アプローチと、心理学的アプローチ、社会学的アプローチです。

犯罪学は法学に入るはずなのですが、生物学、心理学、社会学などの学問からアプローチしているのです。どうして人が犯罪をしてしまうのかについて生物学の視点から見たり、心理学を応用してみたり、社会学から答えてみたりするわけです。

犯罪学の理論


まるで数学のようですが理論もあります。「こうに違いない。」と思う仮説・理論がいくつか展開されています。

例えば、人を非難してラベルを貼るから犯罪が行われるのだというラベリング理論というものがあります。また、何らかの社会的絆が緩んでしまったゆえに犯罪に走ってしまうというコントロール理論もあります。「犯罪の利益>逮捕の危険性×刑罰の重さ」となる場合に犯罪をすることが合理的なので犯罪をするという合理的選択理論もあります。その他、小さな理論はたくさんあるようです。

被害者学


犯罪をした側だけでなく、被害者の側から考える被害者学も近年登場している学問です。被害者の方にもなにか原因があるのではないかという視点から考えたり、被害者保護を考えたりするわけです。

犯罪学研究


犯罪学を研究する人は犯罪者と呼ばれる人を何らかの学問的知見で研究するようです。双子の場合はどうか、養子に出した場合はどうかとか、染色体や脳波を調べたり、性格テストをしたり、家系を調べたり、性ホルモンや栄養を調べたります。家族や地域社会に着目したりもします。

いろんな人がいろんな仮説を立ててそれに基づいてフィールドワークをしたり、被験者を集めて実験したりするようです。法学に留まることなくさまざまな学問に触れてそれを応用し成果が社会の役に立つという点で魅力的であり面白そうな学問とも言えます。

私の思ったこと


犯罪学の成果としてはこれまで書いてきたようなことが積み上げられてきています。

ここからは私の思いや考えなどを書いてみようと思います。そもそも犯罪学についてすでに出来上がっていることを書くとなるとそれは瀬川先生の『犯罪学』を読んだり、他の学者の本を読んだ方がよいです。

そもそも犯罪というものは法律に違反していて初めて犯罪と言えます。なので、刑事系の刑法などの法律を知らなければ自分の行為が犯罪だなんて知らないまま犯罪をしていることもあるかもしれません。この場合、知らなかったですむかというと済まないことになっています。いわゆる法律の錯誤というものです。

犯罪といっても1円を拾ったまま届けない遺失物横領から殺人まで幅広いです。そもそも小さな違法は犯罪にして処罰する必要があるのかも疑問です。いわゆる可罰的違法性の話です。だれもいない交差点での赤信号を歩いて渡るとかです。あれ犯罪なんでしょうかね。

そういうことを言い出すと、例えば交通事故も犯罪と言えば犯罪ですが事故と呼ばれています。JRを遅らせることも事故と呼ばれ犯罪ではないかのように言われています。

窃盗をした人にどうして物を取ったんだと聞くと、「欲しかったから。」と返事が返ってきそうです。こうなると、偉大な学者の先生の犯罪学理論は何なんだろうと思います。傷害で人を傷つけた人はどうしてやったんだと言われると「いや。むかついたから。」と答えが返ってくるかもしれません。ひょっとすると学問は現場では役に立たない机の上でのファンタジーになりさがるかもしれません。学問なんてのはある程度余裕のある人ができるものでしかないわけです。

犯罪をしている人からすると、「お金がなかった。」とか、「殴ってやりたかった。」とか、「盗むスリルが好きだった。」とかそういう理由なのかもしれません。

人生全体から考えると、例えば、人を殺してしまったら、刑法199条に反し最悪死刑になってしまい、民事では巨額の損害賠償を背負うこととなります。でも、怒って我を忘れている犯行現場では、「刑事裁判で執行猶予付くかな。」とか、「民事の損害賠償はこれくらになるのかな。」なんて考えているとも思えません。よくよく考えると犯罪は割に合わないのですが、当の本人からすると選択肢がないように見えるわけです。

あとは、「バレないからいいだろう。」というのも犯罪者の王道かと思います。どうせ見つからないからとこそっとずるをしてしまうということです。たしかに、一度の万引きや下着泥棒とかは見つからないかもしれませんが、だいたいこういうものは何度も繰り返すのでそのうち見つかってこれまでもたくさん犯罪歴があったんだとバレるものです。交通違反とか長年見つからないから大丈夫と思っていてある日突然バレるとかありそうです。

その一方で、調べに調べて計画を完全に立てて犯行におよぶこともあるかと思います。または、組織的な犯行でまるで秘密結社の如く行われることもあると思います。こういうのはその場の激情とか個人の恨みとかではなく計画性がありそれ故に悪質と言えるかもしれません。おそらく、得られる利益を考えると犯罪をする方がいいという結論に達するのかもしれません。そもそも犯罪が苦痛ではないようになっているとしたらそれはそれで問題です。

では、犯罪が怖くない、刑務所が怖くないという場合はどうでしょうか。むしろ刑務所へ行きたいとか、死刑になって死んでしまいたいというケースもありそうです。そもそも視点や価値観が逆転しているこういうケースはどうやって防ぐのでしょうか。「捕まってもいいし、刑務所での3年くらいも損害賠償100万円くらいも怖くないから、どうしてもあいつを殴ってやりたかった。」というのはありそうです。こうなるとある意味無敵となります。警察も法律も刑務所も怖くなくなってしまうわけですから。こういうのは法律の限界、司法の限界なんだと思います。

同様に、マゾヒズムゆえに自分から刑罰を望んでしまうとそもそも刑罰の趣旨が骨抜きになります。自由や快適さではなく、苦痛と拘束を望むとなるとこれまた手の打ちようがありません。と書きつつ思ったこととして、こういうことは観念的で実際にはほとんどないなと思いました。

人はどうして犯罪をするのか、は少し高遠なテーマでした。ただ、「人は皆犯罪者」という言葉もありだれでも大きい小さいの違いあるも機会さえ与えられたら犯罪をしてしまう可能性は十分にあります。目の前の一人の犯罪をした人から犯罪学の論文が大きく外れてしまうことなく犯罪学自体は発展していってほしいものです。


今回も読んでいただきありがとうございました。

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