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司法浪人時代その2

ロースクールを出てすぐの司法試験を受けたのですが、これは全然ダメでした。ダメなのはわかっていながら修了直後だから実力がついていると思って受けたのですがさっぱりの結果でした。

修了して1年間は、AAゼミと呼ばれる弁護士の人主催のゼミに参加したり、辰巳のスタ論と呼ばれる答案練習会に参加したりしていました。先生による勉強会にも参加しました。猛烈に勉強することはなかったのですが、ほぼ1日を勉強にあてていたにもかかわらずあまり成績の伸びはなかったです。どうも私は変わらない傾向にあります。

で、修了2年目の本試験直前の辰巳の全国模試が悪すぎてその年は受験しませんでした。まだ回数制限が修了後5年以内で3回という縛りがあったので受かりそうにない時に受けても仕方がないと思っていました。

このあたりで、司法試験合格はだんだん難しく感じてきて、とりあえず、何か働きながら勉強をしようと思って塾で講師をして1年過ごしました。朝と昼間は司法試験の勉強をして夜ちょっとだけ塾のアルバイトをしていました。塾は中学高校の内容だったので、中学と高校の2周目という感じでした。中学の内容は簡単なのですが、高校の内容ははっきり言って科目によってはきついもので生徒と一緒に学ぶようなスタイルとなっていました。個別なのでできたと言えます。収入はものすごくわずかしかなったです。実家故にできたことだと思います。

それで、また司法試験の時期が来たのですが、塾の勉強に重点が移っており試験の方はうまくいく実感がなく、この年もスルーしました。受験料は払って出願はしていたのですが受験しなかったわけです。回数制限のためです。

そして、塾に加えて、家から5分の新聞販売店で新聞の夕刊配達のアルバイトをすることとしました。塾だけではあまりにも収入が少なかったのです。この1年は、司法試験と新聞配達と塾講師を毎日繰り返す1年でした。司法試験に使える時間は激減してしまい、『伊藤真 試験対策講座』などや判例などを読んでいるだけで時間が過ぎゆき、学校の勉強会にも参加できなくなって司法試験からは離れつつありました。夕刊配達では行政書士試験を受けている人がいてよく法律や行政書士試験の話をしました。これはよかった思い出です。そうしている間に、会社の方から「朝刊も配達しないか。」という話が来て朝刊も配達するようになりました。こうなると、司法試験の勉強は毎日2時間ほどしかできず、もう司法試験からはかなり遠いところまで来てしまいました。修了4年目の司法試験は受験したのですがあっさり不合格となりました。

回数制限からするとあと1回なのですが、同じような生活でした。朝刊の配達日を試験があるからということで週2回に減らしてもらって勉強時間を確保していたのですが、やはりうまくいきませんでした。いつまでたっても答案が書けるようになるわけでもなく、本を読んでいるだけで時間は過ぎました。結局、修了5年目の最後の司法試験も択一試験が受かっただけで不合格になってしまいました。残念ですが、これで長かった司法試験受験生生活が終了しました。

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